大津絵 @東京ステーションギャラリー
更新日:2020年10月11日
今日は、東京駅丸の内口にある東京ステーションギャラリーで開催中の「大津絵」に関する展覧会を見てきました。大津絵とは、こんな感じです。
東海道、逢坂関の西側に位置する近江国追分(髭茶屋追分)を発祥の地とする。寛永年間(1624- 1644年)のころに仏画として描かれ始めた。当初は信仰の一環として描かれたものであったが、やがて世俗画へと転じ、加えて18世紀ごろより教訓的・風刺的な道歌を伴うようになった。
松尾芭蕉の俳句「大津絵の筆のはじめは何佛」には、仏画が多かった初期の大津絵の特徴が表れている。また、江戸時代初期のキリシタン弾圧に際して「自分は仏教徒である」という隠れ蓑的役割も有していたと言われる。
江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となった。文化・文政期(1804- 1829年)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、一方で護符としての効能も唱えられるようになった(「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除けなど)。画題は増え続け、幕末には最盛期を迎えたが、画題の簡略化に伴って減少し、現在では百余種とされる。
神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、道歌が添えられている。多くの絵画・道歌には、人間関係や社会に関する教訓が風刺を込めて表されている。
(wikipedia,2020.10.4閲覧)
以下は、東京ステーションのサイトから。
大津絵は、江戸時代の民衆向けの絵画。江戸時代の人びとが旅先でこんな絵を買い、家に飾っていたことを知ると、生活の中で美がいつの世にも求められていたことが分かる。ちょっとした美の彩りが生活を豊かにしてくれる。これらの大衆絵画は、それを物語っている気がする。展覧会は、この大津絵をコレクションした明治の文化人たちにスポットライトを当てている。現代でというとマンガに相当するようなこうした絵画に美を感じた当時の文化人たちは、興味深い。どんな時代にも、その当時には理解されない美がある。大津絵の制作者たちの中にもマエストロ(巨匠)がいたのだろうが、それを発見する者も大切なのだと感じられた。
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