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執筆者の写真ひろれのん

青木野枝「霧と鉄と山と」

 2020年2月9日に青木野枝という女性の彫刻家の個展を見てきました。場所は、府中市美術館です。展覧会のポスターを見てちょっと気になっていたのが、きっかけです。当日は風が強く、自転車で府中に行くのも、けっこう大変でした。

 

 どんな展覧会なのか、まず府中市美術館HPから引用します。


 彫刻家・青木野枝は、大気や水蒸気をモティーフに、万物がうつろいゆくなかの生命の尊さをあらわしてきました。その彫刻は、鉄や石膏という固く重い素材を用いながら、周囲の空気をまとって、とても軽やかに見えます。

 作品のほとんどが展示場所に合わせて作られ、展示が終わると解体されます。青木は、つくって、置き、崩す、を繰り返し、その営みのなかに自らの彫刻があると考え、実践しているのです。

 近年は第40回中原悌二郎賞(2017年)を女性として初めて受賞し、また全国各地で個展を精力的に行っています。動き続ける青木野枝の彫刻の今を、どうぞ体感してください。

 

 確かに、鉄という素材を使うと、無機質なものになりそうですが、そうでもありません。むしろねっとりとした空気感がありました。ちょっと不思議です。

 パンフレットには、次のような制作者の言葉が書いてありました。


私には世界がこう見えている。 でも、もちろん他の人は違う。 みんな違うということを言っていきたい。   青木野枝


 うーん、分かる気がします。ぼくから見える世界と彼女から見える世界が違うのだと言うことが…。それがわかることも大切なのかな。


 ちょうどその日は、担当学芸員によるスライドトークがやっていて、青木野枝さんの創作暦などもお話しいただきました。青木さんは、芸術祭などで依頼があった場所に彫刻をつくっても、その後はまた解体するそうです。なんか、もったいないなぁと思って聞いていました。日本の公共空間には、もっとこんな作品が置いてあってもいい気がします。


 思わず、青木野枝さんの作品を集めた公式図録『流れのなかに ひかりのかたまり』も購入してしまいました。その巻頭言として、次のような言葉があったので紹介します。


見たいけれどこの世界にないもの。

それをつくっている。

それが私にとっての彫刻なのだと思う。

彫刻をこの世界にたてる。

その中に入って行く。

その中を歩く。

立ち止まって見上げたりする。

すると、初めて見る景色が広がっている。

いままでいた世界と違う気がする。

そして、見たことが何かを変えていく。

それから時が来て、この彫刻を解体する。

それは地上から消えてしまう。

その間だけ開く通路のようなもの。

私にとって、彫刻の持つ時間は限られている。

ここで見たものが何かを変えて、また次に見たいものがあらわれる。

つくる。解体する。

繰り返す。

 



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